いじめで悩んでいる人に読んでほしい本 & 私の提言「人間と呼ばれるための資格」

教員間いじめ
神戸市立東須磨小学校で「教員間いじめ」の問題(犯罪)が発覚した。
実際は4人の教員だけではなく、校長も含めた組織的な「いじめ問題」としか言いようがない。
これまでよくぞ「先生」と呼ばれていたかと思うと、怒りがこみ上げてくる。
今回はブログの内容もストーリーは全くない。
私が淡々と思っていることを残したい。
そしていじめで悩んでいる方々へ、中川翔子の「死ぬんじゃねーぞ!!」という本を読んでみてほしい。
彼らの罪はいかほどに?
教員間いじめの加害者らは「悪いこと」とは思っていなかっただろう。
しかしやっているとは間違いなく普通の犯罪なので、懲戒免職ではなく逮捕されるべきです。
名前を公開しろとか流れているが、名前公開なんて勿体無い。人間としての資格を剥奪し、生涯「名無しのごんべい」と呼ばれなさい(もちろんお墓も無い)。
彼らがやったことは幼稚かもしれないが、被害者の人生をも狂わせた凶悪犯と同じだ!
遊びだろうが犯罪だろうが罪は罪で、人に迷惑をかけていればグレーゾーンでも殺人にだって進むことも容易に考えられる。
被害者とご家族の方々、小学校のお子さんやご家族の方々、そして加害者側にも家族とお子さんがいるんでしょうね。関係している方々が全員か被害者です。
このようにたとえ幼稚な罪でも、たくさんの被害者で溢れてしまう。
被害者全員のメンタル面の回復が優先ですね。
中川翔子の「死ぬんじゃねーぞ!!」
なんとなく「いじめ問題」をネットで見ていたら、すばらしい本を見つけました。
中川翔子の「死ぬんじゃねーぞ!!」
中川翔子さんも、子供時代に壮絶ないじめを受けていたそうです。おかあさんにも真実を告げることができずに・・。
おかあさんにも分からないように振舞っていたかと思うと心が痛い。
でも今は生きてきたことで、こんなすばらしい未来が待っていた。という内容でした(端折りすぎ・・)。
彼女らしく、魂がこもったストレートな文章で、そして繊細でデリケートな文章で、心に響き渡り勇気が湧いてくると思います。
私も冒頭を読んでいるうちに涙が出てきました。
是非とも学校の授業でも使われるべき教育だと思う。
「いじめ・幼児虐待・動物虐待」どれも弱い立場の人間(動物)を、攻撃している卑怯者でしかない。そのことを授業の一つとして時間をとって教育することはおかしくない。いや取るべきだ!
もし文部科学省の方がこの本を見たのであれば、今回の事件を二度と起こさないためにも授業に取り入れてほしい。
人間が本当に学ぶものとはなんなのだろうか・・。
いじめる側・いじめられる側・先生の立場・生徒の立場で考えてほしい。
いじめている側も気がつくかもしれないし、いじめられている側も勇気を持つかもしれない。
「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない。
はい、私も一点の曇りなく同感です。
「いじめられている方にも原因がある」と戯言を言っている人もいる。このような言葉を言っているのは全く見ている視野が狭い。
「悪いこと・正しいこと」を教えることもしていない大人が、言葉巧みに自分を正論化(言い訳)しているだけだ。
いじめられた側に原因があったとしても、「人間と呼ばれるための資格」からみても、いじめる理由は当てはまらない。
人間と呼ばれるための資格
人間は生きている以上、必ず誰しも人に迷惑をかけて生きていくしかない。
「罪のない人間は存在しない」というのが私の考えです。
もちろん自分が守るもの(自分・家族)が第一優先なのは当たり前ですが、「守ること」と「必要以上の得を得る」ことは違います。
だからこそ、人に迷惑をかけないように気を使い、助け合い思いやりを持っていくことに意識を高めるべきです。
悲しく残念で幼稚な罪が消えないのは「法律を守れば、自分の利益を優先してもよい」と思っている人間が多いからではないだろうか?
法律を守る前に、ルールとして守るべきものがあると私は提言している。「人間と呼ばれるための資格(By刹那)」
たった三つの約束です。
「人間と呼ばれるための資格(By刹那)」
立場の強い人間は弱い人間を守る。
周りには思いやりを持って接する(人間に限らず)。
罪を犯したら正直に認め是正する。
これを守った上で、法律が存在するんです。
お気づきかもしれませんが、実は小さい子供は守ることができ、知恵がついた大人は守ることができないことです。
人間の進む世界は・・
ここまで人間の資質が下がっているなら、人間の存在自体も否定したくなる。
人間は知恵を持つこと認められた生物であるが、本当に未来を生きていく資格はある生物なのか?
神は我々をどうみているのだろうか・・・?
「人間と呼ばれるための資格(By刹那)」を私が生きていくうちは提言し続けていきたい。